荒川の河口から上流22kmは、人の手によって造られた運河です。パナマ運河ほどではありませんが、非常に大きな事業だったと思います。
新旧の岩渕水門を見学し、土手に戻ると、ひときわ目を引く建物がありました。それが荒川知水資料館です。さっそく行ってみると、無料で入場できるようだったので、中に入ってみました。
館内は1階と2階に分かれており、1階では荒川周辺の植物や動物について紹介されていました。2階では、荒川放水路の歴史や工事の詳細が展示されており、どのようにしてこの運河が造られたのかを知ることができます。この資料館は国土交通省関東地方整備局 荒川下流工事事務所が運営する施設で、私が社会人になってからよく訪れた組織でもあります。業界では「アラゲ」と呼ばれていました。せっかくなので、休憩も兼ねてじっくり見学することにしました。今回掲載する画像は、主にこの資料館でいただいた資料や展示を基にしたものです。
こちらの写真は、新旧岩渕水門から荒川を望んだものです。この工事は、明治43年(1910年)に発生した大洪水を受け、翌年の明治44年(1911年)に着工されました。そして、昭和5年(1930年)に竣工しました。去年は通水100周年でした。
計画段階では、4つの異なる水路案が検討されましたが、慎重な議論の結果、現在のルートが採用されたそうです。
展示では、工事の過程について詳しく解説されていました。
また、この大規模な工事を指揮した青山士(あおやま・あきら)技師についても紹介されていました。
彼は静岡県出身の土木技術者で、パナマ運河の建設に携わった唯一の日本人です。帰国後、内務省に入省し、東京土木出張所で荒川放水路の建設を指揮しました。
展示を見終えて、この工事がいかに偉大な事業だったのかを改めて実感しました。