前編では、映画『日本独立』に描かれた白洲次郎や吉田茂の“美談”に疑問を投げかけました。そして戦後日本の統治構造を読み解くための視点として「マッカーサー幕府」という比喩を提案しました。
ここでは、その具体的な内実を5つの観点から検討してみます。
1. 封建的演出としての占領統治
GHQ最高司令官マッカーサーは、占領期間中ほとんど姿を現さず、第一生命ビルと自邸の間を往復するのみ。日本人で彼と直接2回以上会った者は、わずか16人程度。
→ この振る舞いは、あたかも江戸時代の「将軍」に重なる。天皇を“象徴”として温存した上で、実質的な支配を自身の下に置く構造は、まさに徳川幕府的であった。
2. 幕府様式の完成のための施策
A. 報道統制と情報操作
厳格な検閲が行われ、特にNHKを中核に据えて情報を一元管理。民放局の新設も制限され、世論の形成は一方向に誘導された。そして出版、通信には厳格なプレスコードで規制し、問題あれば即出版停止とした。
B. 「リトルアメリカ」の建設
東京の中心部(赤坂・青山・霞ヶ関)には、アメリカン・ハイツと称される米軍住宅や施設が立ち並び、まさに「お膝元」が形成された。そこに暮らすGHQ官僚は、まるで旗本のような特権階級であった。そして、家賃はじめお手伝いさんの費用まで全て日本政府負担なので本国以上の豪奢な生活をした。
家康が武家諸法度を制定して諸大名を縛ったように、憲法第9条を柱とする「平和憲法」もまた、日本という“家”の行動を根底から縛る統治文書であった。交戦権を奪い、国防を他国(=アメリカ)に委ねる仕掛けは、非常に巧妙で不可逆的だった。
3. なぜ間接統治だったのか?
当初はアメリカ人による直接統治も検討されたが、日本語人材・人手・統治コストなどの問題から断念。
→ 代わりに、天皇と旧官僚機構を温存し、彼らを通じて支配する「幕府的な間接統治」が選ばれた。
4. 幕府の恩恵を受けた占領官僚
「マッカーサー幕府」において、GHQ高官は本国では得られなかった権力と栄誉を享受した。住宅・生活費はすべて日本政府が負担し、国内では“神のごとき存在”として扱われた。この構図は、まさに植民地的な色彩を帯びていた。
5. 仮想支配者と旧官僚体制の継続
吉田茂は、アメリカにとって都合の良い「象徴的リーダー」として位置づけられた。彼の背後には、戦前からの官僚組織がそっくりそのまま残され、GHQの意向を忠実に遂行した。
→ 結果として、「戦後民主主義」という衣をまといながら、内実は旧体制とアメリカの共同支配という構図が築かれた。
◆ 総括:80年後の“服従構造”
以上の5つの観点から見ると、戦後日本はマッカーサーによる“幕府的支配”を起点に、独自の主権を回復することなく、アメリカとの主従関係を制度と意識の両面で温存し続けてきた
「日本独立」とは名ばかりで、実態は「従属の独立」であったのではないか。
私たちが今なお「物言わぬ国」であり続ける背景には、こうした“服従の構造”が80年経っても解体されていないという、厳然たる現実があるのではないか。
結びにかえて
映画『日本独立』は、確かに感動的な美談としてよくできた作品です。しかし、そこに描かれた「主張する日本」という物語に酔うだけでは、本質は見えてきません。
私たちが本当に独立した国家であるのか――この問いをもう一度、問い直す時期に来ているのではないでしょうか。