卓球をプレイする前の準備体操は、いつもラジオ体操だ。
体操をしながら、ふと気づくことがある。誰に号令をかけられるわけでもないのに、音楽が流れれば自然と動きが揃う。しかも人数が多くても、かなりピシッと合っている。考えてみれば、職場でもラジオ体操をするし、国内外の建設現場でも朝はラジオ体操が定番だ。
これほどまでに国民の身体に染み込んでいるのだから、相当な歴史があるに違いない。そう思って調べてみると、意外にも発祥は日本ではなかった。
1922年4月、アメリカ・ボストンの放送局WGIが体操番組を放送したのが始まりとされ、その後ドイツなどにも広がっていったという。日本では1928年8月1日から1か月間、日曜を除く毎朝6時に、大阪中央放送局(現NHK)が放送したのが最初だった。
日本のラジオ体操は、アメリカのメトロポリタン生命保険会社が健康増進と衛生思想の普及を目的に制作した「Tower Health Exercise」を元に、官民協力の形で全国展開されたものだそうだ。
一昨年、北千住で「ラジオ体操発祥の碑」を見かけたが、どうやら足立区が最初の実施地だったらしい。全国には同様の石碑がいくつもあるようだ。

それにしても、「誰でも知っている」「ほぼ同じ動きができる」という共通体験は、実はとても大きな財産だと思う。
実は以前、ウガンダの橋梁工事の現場を訪れたことがある。日本人監督のもと、現地の大勢の作業員たちが朝のラジオ体操を行っていたのだが、その光景は圧巻だった。言葉も文化も違う人たちが、同じ音楽に合わせて一斉に体を動かしている。

ラジオ体操は単なる準備運動ではなく、日本が長年かけて培ってきた「身体の共通言語」のようなものなのかもしれない。海外の現場でそれを目にして、あらためてその価値の大きさを実感した。
以前、韓国でフェリー沈没事故のニュースを見たとき、「あれだけ沈むまで時間があったのだから泳いで逃げれば…」と単純に感じてしまった。しかし後に、韓国では日本のような“国民皆泳”的な教育がなく、多くの高校生が泳げなかったと知り、考えを改めた。
個人の努力以前に、社会として何を教え、何を共有しているか。その積み重ねが、いざという時の生死を分けることもある。ラジオ体操も、水泳教育も、そうした“見えにくいインフラ”なのだと思う。
最近あらためて感じるのは、ラジオ体操は真面目にやると結構きつい、ということ。
長年当たり前のように続いてきたこの体操、実はかなり良くできた全身運動なのかもしれない。そんなことを思いながら、今日も身体を伸ばしている。