オールドメディアの正体——同窓会で吹いた冷たい風

先日、高校時代のクラス会があった。

久しぶりに顔を合わせた旧友たちと、近況報告を交わす和やかな時間。その中に、某放送局に勤めていた友人がいた。

彼が挨拶をすると、誰かが冗談めかして声をかけた。

「よっ、オールドメディア」

場は笑いに包まれた。悪意のある野次ではない。むしろ場を和ませる軽口だった。

宴もたけなわになった頃、その“オールドメディア氏”が、少し誇らしげに語り出した。

「いやあ、昔は良かったよ。地面を掘って穴を掘るだけで視聴率20%超えだからね」

例の「徳川埋蔵金」シリーズの話だ。

周囲からは懐かしさ混じりの笑い声が起こる。

しかし、その瞬間、私の脳裏には冷たい北風が吹き抜けた。

これまで私は、テレビをはじめとする大手メディアは、内心では国民大衆を軽く見ながら、隠蔽、捏造、偏向を繰り返してきたのではないか——そんな疑念を抱いていた。

だが、埋蔵金の高視聴率を嬉しそうに語る彼の姿を見ているうちに、別の思いが込み上げてきた。

もしかすると、彼らはそこまで複雑なことすら考えていないのではないか。

ただ、

無能力で、

無知で、

無自覚。

深い悪意や明確な思想以前に、「数字が取れた」「ウケた」という成功体験だけを積み重ね、その延長線上で報道を続けてきただけなのではないか——。

そう思うと、かえって苦い気持ちになった。

「ペンは剣よりも強し」という言葉がある。

報道やジャーナリズムを高尚なものとして称える常套句だ。

だが、現実に目の前にある姿は、そんな理念とはずいぶんかけ離れている。

少なくとも私には、あの場の笑顔の中に、「社会的責任」や「公共性」や「真実への執念」は見えなかった。

見えたのは、ただの成功談と、過去の栄光を懐かしむ一人の会社員の姿だった。

オールドメディアの正体とは、巨大な陰謀組織でも、冷酷な支配者でもない。

案外その実態は、「考えないまま走り続けてきた集団」なのかもしれない。

同窓会の一コマは、そんな現実を静かに突きつけてきた。