成子天神

お天気が気持ちいいのでランチの後、散歩がてら成子天神参詣して来ました。この成子坂界隈の昭和は、中小に事務所が集まって居ましたが、今では超高層ビルが立ち並ぶビジネス街に変貌して居ます。そんな中、成子天神は変わらないパワースポットとして佇んで居ます。f:id:kaccinster:20240314200056j:image 青梅街道に入り口は面しています。参道を行き最初の鳥居を一礼してくぐります。f:id:kaccinster:20240314200342j:image 更に進むと立派な中門です。f:id:kaccinster:20240314200452j:image そして本堂ですが、周囲には数々のパワースポットが有ります。f:id:kaccinster:20240314200700j:image そそのひとつが撫牛です。牛を撫でると御利益が有りそうです。f:id:kaccinster:20240314200823j:image 牛さんの向かいにはご神木が有りました。f:id:kaccinster:20240314201226j:image そのその隣にも小さな神社がありました。f:id:kaccinster:20240314201310j:image こんな立派な石碑も有りました。f:id:kaccinster:20240314201412j:image なんかデパートの屋上遊具の様に色々有ります。由来をメモって来ました。

「千百年を超える歴史を紡いできた「成子天神社」。このあたりはその昔柏木村鳴子と呼ばれ、当地にはもともと大神宮(ご祭神天照大御神)が祀られ、松や柏の樹々が茂る清らかな神域が広がっておりました。平安時代の延喜三年(九〇三年)、九州の太宰府菅原道真公が亡くなられたという報せを東国の地で受けた家臣の佐伯と斎宮は悲嘆極まりなく、その徳を慕い、洛陽(平安京)より、公の生前に彫られた像を柏木村に持ち帰りました。そして当地を菅公神社の神域とし、平和と文道の神としてお祀りし当社が設立されたのです。その後、徳川三代将軍家光公より春日局に柏木鳴子の地を賜り、局の勧請により天満天神社として社殿を造営。明治二十七年成子神社と改め昭和三年成子天神社と改称。その後戦災消失、昭和四十一年の再建等を経て、平成二十六年の御造営を迎えました。」

由来を読んで裏手に抜けると富士塚が有ります。f:id:kaccinster:20240314202018j:image
f:id:kaccinster:20240314202025j:image 結構な大きさで迫力が有ります。f:id:kaccinster:20240314202125j:image 山頂からはお社が見渡せます。f:id:kaccinster:20240314202215j:image お天気に誘われての参拝でしたが、すっかり気持ちが洗われました。