国立競技場から明治神宮へ

三が日の喧騒も、落ち着いたのではと思い神宮の杜をウォーキングして来ました。こんなコースで歩きました。

JR千駄ヶ谷駅 ~ 国立競技場の散策(学徒出陣の碑、聖火台・炬火台他)~ JR 原宿駅 ~ 明治神宮

午前中で終了を目指し10時から歩き始めました。東京体育館を右に見ながら国立競技場の外周にアプローチします。f:id:kaccinster:20240107225727j:image やっぱり国立競技場にはオーラがありました。スポーツの聖地と言ったら言い過ぎかもしれませんが、雰囲気に圧倒されます。f:id:kaccinster:20240107225950j:image 都心にこれだけの規模のスタジアムを持てる事を国民として誇りに思います。f:id:kaccinster:20240107230132j:image これが、全体のレイアウト案内板です。国立競技場のみの案内図がこちらです。f:id:kaccinster:20240107230313j:imageこの案内図から程なく石碑がありました。f:id:kaccinster:20240107230432j:image 逆光で見にくいのですが学徒出陣の壮行会がこの地で行われた事を我々が忘れ無い様に建立された碑でした。由来が書いて有りました。

「昭和十八年(一九四三)十月二日、勅令により在学徴集延期臨時特例が公布され、全国の大学、高等学校、専門学校の文科系学生・生徒の祭兵猶予が停止された。この臨時措置により同年十二月、約十万の学徒がペンを捨てて剣を執り、戦場へ赴くことになった。世にいう「学徒出陣である」。全国各地で行われた出陣行事と並んで、この年十月二十一日、ここ元・明治神宮外苑競技場においては、文部省主催の下に東京周辺七十七校が参加し「出障学徒壮行会」が挙行された。折からの秋雨をついて分列行運する出陣学徒、スタンドを埋めつくした後輩、女子学生。征く者と送る者が一体となって、しばしあたりは感動に包まれ、ラジオ、新聞、ニュース映画はこぞってその実況を報道した。翌十九年にはさらに黴兵適齢の引き下げにより、残った文科系男子および女子学生も、軍隊にあるいは戦時生産に動員され、学園から人影が絶えた。時流れて半世紀。今、学徒出陣五十周年を迎えるに当たり、学業半ばにして陸に海に空に、征って還らなかった友の胸中を思い、生き残った我ら一同ここに「出障学徒行の地」由来を記して、次代を担う内外の若き世代にこの歴史的事実を伝え、永遠の平和を祈念するものでをる。

平成五年(一九九三)十月二十一日

学徒出陣五十周年を記念して

出陣学徒有志」

我等か享受して居る平和な日々は先人の血で贖われて居る事を思い厳粛な気持ちになると共に先人に感謝の念を強く抱きました。この後、聖火台他も見学しましたが、前述の由来を読んで心ここに在らずとなってしまいました。そして競技場の上部の見学を予定していて入場Okを電話で事前確認して居ましたが、なんと今日はイベント準備の為、入場不可となって居ました。仕方なく競技場を後にして原宿に向かいました。原宿は浅草と並んでインバウンド客の人気訪問先で実に沢山の外国人が竹下通りにはひしめいて居ましたいよいよゴールの明治神宮です。f:id:kaccinster:20240107232241j:image 初詣No.1を誇る神社だけあって沢山の参拝者です。ここまでで1万歩、大変気持ちよく歩きました。