ここ数年、河川舟運に興味持って資料読んだりウォーキングしながら見に行ったりしています。秋晴れの日曜日、大落古利根川・古隅田川の分岐点を歩いて来ました。スタートは春日部駅からです。 駅前から大通りを大落古利根川に向かって進みます。 最初にプラットに寄って観光情報を仕入れます。ここは春日部の物産の紹介展示もありました。駅でも、チラッと見えたのですが、ここはクレヨンしんちゃんの野原一家が住む街でした。 グッズ等も販売していました。あとは木工品や羽子板でしたが、羽子板の顔が昔の顔の物と、現代風の目がパッチリした物が並んでいて面白かったです。 駅の東口側は道も広々して気持ちが良いです。仲町の交差点では、こんな標識がありました。 説明を読むと昔はこうだったんだろうと想像出来て嬉しくなります。この交差点から大落古利根川は、すぐです。ちょっと歩くと古利根公園橋が視界に飛び込んで来ました。 橋にかかるモニュメントは麦わら帽子をイメージした物です。このモニュメントの両側から川面の下流を見てみます。 そして歩いて来た仲町側の右岸を見てみると蔵が有り昔の船着場がイメージできました。 この大落古利根川は自転車でも松戸から松伏経由アプローチして何度も走って居ますが水辺のサイクリングロードとして大好きな川です。昔は、さぞ沢山の荷物が、この川を往き来して居た事が偲ばれます。ここから川沿いを上流に向かい古隅田川の分岐を目指します。数分で分岐到着して十文橋です。渇水期もあるのでしょうが川幅が狭くて、えっ、これホントに十文橋? 橋まで行って橋銘板を確認するまで半信半疑でした。この橋は、明治時代の渡しの通行料が十文だった事か橋の名になっているので、もっと広いと思って居ました。この橋のそばには高札場があったとの事です。 この標識の後ろに見える黒い土蔵が浜島家のもので明治時代まで米穀商だったと説明に書かれて居ました。今も交差点を睥睨する様にたち立派です。
そして、交差点のすぐ側にには春日部氏を祀った最勝院が有りました。 春日部重行公は、南北朝時代に後醍醐天皇に味方して戦った武将で、その活躍により、下総国下河辺荘春日部郷などの地頭職を授かりました。また、この最勝院は明治時代に粕壁小学校や粕壁税務署などにも利用されていたそうです。 境内の一角にめをやると、鉄棒がありました。これは小学校の名残りでしょうか。 今日見た、干上がった古隅田川は、かつて隅田川と呼ばれた大河川で、武蔵国と下総国の境目でした。そして、この川沿いには歴史を物語る史跡がまだポツポツ残されていて、いにしえに想いをはせながら歩いた楽しいウォーキングでした。