「愛する松戸をもっと知ってもらおう!」

実は今年から得難い友人に誘われて松戸博物館友の会に入会しました。ただ6月から会社を引退してセカンドライフのカルチャー三昧するつもりの目論みがはずれて相変わらずの現役続行で友の会は幽霊会員状態が続いて居ます。そんな中、新入会員のオリエンテーションも兼ねて「根本の丘の神社群と相模台古戦場跡」徒歩見学会が11月1日に開催されたので参加しました。当日のコース図です。(当日配布資料ですが未許可アップなので消すかも)  f:id:kaccinster:20231108155944j:image 

コース:松戸駅東口(集合)→松戸市役所屋上(絶景)→小根本神明神社→岩山稲荷→吉祥寺→金山神社→池田弁财天→相模台→経世塚→旧陸軍工兵学校正門→旧千集大工学部→金刀比羅神社松戸駅東口

半日のコースでしたが、とても楽しく新たな視点が持てたので備忘録を兼ね詳細を書いてみます。松戸駅東口のペデストリアンデッキ集合で歩き始めました。最初に松戸市役所の屋上に向かいました。f:id:kaccinster:20231108160233j:image 年に数回来る市役所ですが今回は9fまで行き屋上に出ました。360°ぐるりが見えたのですが映像では今ひとつです。f:id:kaccinster:20231108160443j:image 江戸川方向の眺望ですが画像では微かにスカイツリーが認められます。以前入手した江戸川方面を望む映像ですが、これでは常磐線やキテミテ松戸、江戸川がはっきり見えます。f:id:kaccinster:20231108160751j:image 市役所を後にしてすぐ目の前の小根本神明神社に向かいました。鳥居は階段下ですが、社殿は市役所とほぼ同じ標高の場所にありました。ご祭神は天照皇大神です。f:id:kaccinster:20231108162405j:image こちらで鳥居を見ながら日本各地の鳥居の種類を教わりましたが、実に様様な種類が有る事に驚きました。次は岩山稲荷に向かいました、隣がソープランド、向かいがラブホテルという絶妙の場所にありました。f:id:kaccinster:20231108164024j:image 岩山稲荷の名の通り小高い岩山を行くとケージに入った狐様が迎えてくれました。f:id:kaccinster:20231108163117j:image 狐は盗難防止か、はたまた勝手に夜な夜な出歩くのを防止する為か、興味が尽きません。これから常磐線跨線橋を渡り西口側に有る吉祥寺です。f:id:kaccinster:20231108194738j:image 面白かったのは寺に有る二又の木が有りましたが、弘法大師が1本の木から薬師如来を刻んだ際、木の根本部分で作った像を安置した吉祥寺のある村が根本村になったという説があるとの事です。松戸の根本の由来に納得です。この後また跨線橋を渡り東口側の金山神社に向かいました。f:id:kaccinster:20231108165449j:image JR常磐線の線路のすぐ脇にある小高い山のような場所にある珍しい神社です。祭神は金山比古命です。鳥居をくぐり、多数の階段を登ると社殿があります。f:id:kaccinster:20231108165508j:image 富士講の信仰が盛んな場所であったようで、富士登山記念碑が無数に設置されています。階段の途中には「九合目」といったように富士山に模した標記があり、あたかも小さな富士に登っているような気分になりました。社殿は厳かな物でした。f:id:kaccinster:20231108165605j:image この後は入り口がわかりにくいのですが池田弁財天に向かいました。入り口はインスタ映えしそうな鳥居が連なっています。f:id:kaccinster:20231108170259j:image ここは、かつて平潟遊郭の地で働いていた遊女が下の病にかからぬようにと巳の日に神社を訪れ祈願をしていたと言われています。f:id:kaccinster:20231108170325j:image この遊女の由来を詳しく説明している看板がありましたが、哀しい話でした。f:id:kaccinster:20231108170509j:image この後は旧水戸街道に戻り相模台に向かいます。カレーのボンベイ近くからこの丘に取り付き登りました。現在、この相模台の丘陵上は松戸中央公園、相模台公園や法務局、地方裁判所聖徳大学や相模台小学校などが建ち並び、往時を偲ばせるものはほとんどありません。わずかに聖徳大学構内に「相模台戦跡碑」の石碑と、この合戦での死者を祀った塚が有りました。f:id:kaccinster:20231108170815j:image この経世塚は、聖徳大学の正門を入って左手、花壇の中に2つの塚と「相模台戦跡碑」と記された石碑がありました。天文7年(1538年)10月7日、小弓公方足利義明は子義純とともに、相模台で小田原の北条氏と戦い、壮絶な戦死を遂げ、この戦では千人以上が亡くなったそうです。その後良純の乳母がこの地を訪れ、塚の前で一夜を泣き明かしたが、夜中、夢に血まみれの義純があらわれ、乳母をを慰めたので塚を祀ったそうです。f:id:kaccinster:20231108171143j:image 今は聖徳大学や中央公園のある相模台には、大正8年陸軍工兵学校が創立されました。この時に何も知らず陸軍は塚を壊してしまい、その後いろいろな怪しいことや、不思議な事故が続いたため、再び塚を慌てて築き直したそうです。将門塚の話を思い出しました。この地面の下にかくも大量の遺骨は眠っていると思うと何とも言えない気分です。塚で昔に思いを馳せた後は陸軍工兵隊の正門を見学しましたが、戦後暫くは千葉大工学部の門として使われたそうです。f:id:kaccinster:20231108171122j:image この後、最後の見学先の金毘羅神社です。 説明によると松戸宿には舟運に携わる人が多かったので、航行を守護する「こんぴらさま」が祀られたそうですが、やがて参拝者も減り社殿も荒れたので、この地に再建されたとの事です。大物主之神(オオモノヌシノカミ)が祀られています。f:id:kaccinster:20231108171314j:image
f:id:kaccinster:20231108171317j:image 斜面には大型のマンションが建てられ、それに抱き合わせた形で神社が有りました。f:id:kaccinster:20231108171416j:image 推測ですがマンション建設の際に施主側に神社スペースも確保の条件つけたのかもしれません。このマンションのコミュニティスペースで見学会解散となりましたが、とても楽しいウォーキングでした。友の会の中でも分科会があり今回は‘松戸を知る会’‘松史会’の共同開催との事ですが地元の歴史を掘り下げて学ぶ大変興味深い見学会でした。