昨日の雪花ビールから、自分のブログを検索してみましたが、ヒットしません。思い返してみるとこの時期はFBばかりではてなブログのおさぼり期間でした。まず、過去のフライト記録を見てみました。 これを見ると成田から瀋陽に直行便で飛んでいます。滅多に使わないANAですが久しぶりにフリークエントフライヤーのステータス満喫して機内食も入国も楽チンでした。 現代では瀋陽ですが満州国時代は奉天と呼ばれて居ました。出張の目的は鋼材の買い付けで鞍山製鉄訪問だったのですが、あえて瀋陽を起点として行動しました。翌朝、ホテルから瀋陽駅(奉天駅)に直行です。 この駅舎は日本統治時代のものがそのまま残って居ました。新幹線で鞍山に向かいました。ドイツ製車両でフルフラットになるので数時間でしたがウトウト出来ました。 鞍山駅到着です。 これも未確認ですが日本統治時代のものの様です。駅前はすっかり現代風になって居ました。 さて鞍山製鋼ですが、実は日本の大倉財閥が作ったもので昭和製鋼所と呼ばれて居ました。五味川純平の人間の条件の舞台で小説、映画共にヒットしたのでご存知かもしれません。実は戦艦大和に使われた多くの鋼材のうち、ここの材料も数多く使われて居ました。鞍山での商談終わりトンボ帰りで瀋陽に戻りました。夕方に戻ったのですがパワーランチでお腹いっぱいだったので軽くという事で名物餃子です。 翌朝は早朝より満州時代の地図を頼りに街歩きです。 最初は満鉄が作った大和旅館です。ここでは数多くの政治的密談が行われた場所ですが、内装含め往時の状態が残っているのにびっくりしました。 この後は地図で古い建物を確認しながら街を見て回りましたが古い銀行の建物が戦争博物館になっていました。 てん展示は欧米から如何に搾取され、その後、日本と戦い勝った事の歴史を詳細に展示して居ました。日本の降伏文書なんて我が歴史の授業では見た事の無いものでした。 合わせて日本の敗北を欧米がどう伝えたかの展示もありました。 結局、終日歩き回り3万歩以上歩いたので、ある程度コミュニケーションが韓国語で取りやすい朝鮮族のお店で焼肉を食べました。 瀋陽から北朝鮮の国境は直ぐなので朝鮮系のレストラン多いです。この奉天訪問から満州への興味が今も続いて居て未だに色々勉強中ですが、現代中国の発展の基礎は旧満州の重工業施設だったと強く感じました。