自転車で銚子方面に抜ける時、必ず通る木下(きおろし)をじっくり歩いてみようと思い昨日の日曜日に行って来ました。コースは木下駅 ~上町観音堂 ~ (国指定天然記念物) ~ 木下交流の杜広場~ 紅葉)〜万葉公園〜竹袋稲荷神社~ふれあいの小径 ひょうたん島池 ~ 木下駅と言う順に歩き約1.5万歩でした。モダンな駅から出発ですが、改築前の様子が壁に描かれて居ました。有りし日々の様子が偲ばれる画像で観入ってしまいました。駅前から程なく観音堂ですが歴史を感じました。
次に向かったのが木下貝層の露頭部です。これは、長さ45メートル×厚さ4.3メートルにおよび、貝化石が特に密集する部分です。なんと約450000年前から約80000年前に古東京湾海底に堆積した地層との事で、はっきり貝とわかるのに驚きました。
次が木下交流の杜広場ですが、長い坂を登って行くとぽっかり開けた広場でした。ここにある資料館で知ったのですが印旛高等学校の跡地との事、あの長い坂は学生泣かせで遅刻坂だったんじゃないかと想像してしまいました。広大な敷地ですが、1930年(昭和5年)4月 - 千葉県立印西農学校と千葉県印西実科女学校(共に1901年創立)が統合され、千葉県立印旛実業学校として木下地区に開校されたそうです。この高台に立って利根川を眺めながら、この木下の街の歴史に想いを馳せました。江戸、明治と海運の中継地として大いに栄え、千葉県で有数の街だからこそいち早く立派な学校を置いたのだと思います。しかし、その後、海運が衰退して鉄道の時代に変わっていく中、学校も街も活気を奪われて行ったのでは無いでしょうか。事実、学校も移転という形をとっていますが実際は廃校で移転先は千葉ニュータウンで学校名も変わっています。卒業生の建てた石碑を見るとまさに強者どもの夢の跡でした。
資料館でもう一つ興味深かったのが、明治時代は利根川観光で船を浮かべ香取、鹿島神宮詣りをしていたとの事で船の模型が有りました。次の万葉公園に向かう為にこの高台を降りるのですが、スロープに長い滑り台が有りました。子供達の楽しそうな声が響いて居ました。降りながら木々に木の名前と共に万葉の句が書かれて居ました。紅葉が綺麗でした。この後、竹袋稲荷神社に行きましたが、建築の見事さと色使いが印象的でした。この後はひょうたん島池ですが、ここは大きな調整池で長閑な里の景色を楽しみながら木下駅に戻りました。数時間のウォーキングでしたが木下の歴史をいろいろ考えさせられた楽しい時間でした。