千住製絨所

先日、下町ぶらり歩きで南千住近くでこんな胸像を発見しました。なんと「日本の毛織物業の父」で、この地に工場を建てた人物でした。f:id:kaccinster:20240523161949j:image
f:id:kaccinster:20240523161946j:image いや、なんとも立派のお方です。一般的に 銅像が作られる目的として、多くは偉業を成し遂げた人や、動物などを称える目的で作られます。この像の隣には立派な石碑も有りました。f:id:kaccinster:20240523162251j:image 考えて見ると顕彰される様な人物は大半が戦前の物の様な気がします。戦争に負けて武装解除され絶対に戦いませんと言う憲法を押しつけられ日本が過去やって来て事は全部間違いでしたと教育され道徳教育も廃止されると先人を敬う様な事が少なくなるのかもしれません。この井上省三氏は、この地に作られた毛織物工場の初代所長です。山口県いや長州の出身で、 1870(明治3)年、ドイツのベルリンに留学します。初めは兵学を学びますが、国を強くするには産業の育成が必要だと考え直し、毛織物工場に職工として入って製絨技術(ラシャなどの毛織物を織る技術)を身に付けました。 1875(明治8)年に帰国。その後、内務省に出仕します。このころ国は殖産興業政策の下で毛織物工場の建設を決定し、その準備を省三に命じます。省三は機械の購入などのため再びドイツへ。翌1877(明治10)年、ドイツ人の妻を伴って帰国。1879(明治12)年、東京に、日本初の毛織物工場である官営の「千住製絨所」を開業させ、初代所長として日本の毛織物工業の発展の礎を築きました。しかし病に倒れ、志半ばで1886(明治19)年、満41歳で亡くなりました。なんと、ドキドキする様な明治の富国強兵策の先兵です。東京の三大銅像を調べてみました。先ず、明治26年、日本最初の西洋式銅像として靖国神社外苑に設置された 大村益次郎像(大熊氏廣制作)、次に明治31年上野恩賜公園設置の 西郷隆盛像(高村光雲制作)、そして明治33年、 皇居前広場に設置の 楠木正成像(高村光雲など東京美術学校チーム)の3基でした。平成、令和の銅像は何処に有るのでしょうか。