東日本大震災から11年、3.11は人生のエポックのひとつ、46年前の1976年ネパール遠征(エベレスト街道トレッキング)、カラパタ(5545m)ピークの頂上に立った日でもあります。今はルクラから歩き始めるようですが、我々の時代はルクラまでも一週間以上歩いていました。我々はカトマンズからバスに約3時間乗り、エベレスト街道トレッキングの本当に最初の村であるラムサングーから出発し、毎日毎日歩いて、約2週間かかってナムチェバザールに着いています。ネパール遠征は、計61日間(2/11〜4/11)でした。羽田を出発、今は無きパンナムの001便でいわゆる世界1周便で先ずは香港、ここで注油そしてバンコクまで飛びます。バンコクでは色々準備で3日ほど滞在その後ロイヤルネパールエアラインでカトマンズに向かいました。ここで10日ほど滞在して装備や食料の買い付け、シェルパの採用や入山許可証の取得など初めての海外渡航した大学生には毎日が冒険でした。カトマンズ郊外まで装備、食料満載してバスで向かい、そこでシェルパと合流、ポーター2名現場調達して荷物ふり分けキャラバン開始です。いやという程歩いてエベレストの玄関、ナムチェバザールに到着ここでポーターを返し、その後はエベレストベースキャンプまでガイド役のシェルパと私、友人の3人で行動です。この3.11の朝の記録を友人が再現してくれました。「カラパタ(5545m)への最終キャンプ地は、ゴラクシェップ(ゴラシャとも表記)標高は5170m。当日は、ゴラシャを午前7時25分に出発。カラパタへの登山コースは別にありますが、我々3人(シェルパのアン・カミを含む)は、テントが張ってある場所から、ダイレクトに頂上を目指しました。大きな岩が積み重なったところを直登して行きました。私は、どんどん2人から遅れました。私が頂上に着いたのは、ちょうど9時でた。
2人は私より15〜20分早く着いたとのことなので、K君(私)の登頂時間は、8時40分から45分頃であったと思います。10時まで滞在し、エベレストはもちろん周りの山々を写真に撮りました。2人で写る頂上写真。後方に写る山はプモリ(7161m)という山です。下山後、3人でクンブ氷河内のエベレスト登山のベースキャンプ地となる場所の手前まで行きました。その日は、前日のキャンプサイトであるロブジェまで戻りました」
もう記憶も薄らいでいますが、5千m超えたあたりからの空気感、寒さは神の領域だったのが強く心に残っています。帰路はルクラまで歩き天空の飛行場からカトマンズまで空路でしたが、モンスーンが近づいて悪天候でフライトキャンセルが5日程続きキャンセル待ちの長い行列となりました。旅程と予算共にギリギリで、これ以上猶予がない状況でした。パイロットに必死に交渉して結局乗れたのですが、私の腕のセイコークロノグラフは消えていました。飛んだのは良いのですが、崖の縁にある飛行場ですから崖の上から離陸した途端ガクンと高度を下げそこからゆっくり上昇するのですが、内臓が口から出そうな感じで驚かされました。画像は現在のものですが昔もこんな感じで10人乗りぐらいの小さな飛行機でピタラスポーターという機種でした。青春の貴重な想い出です。