なんか短い梅雨があけて、暑い日が続いてますが、ますます日本が熱帯化している様に感じます。そんな中、ひょんな事から日傘を手に入れました。え、男が傘なんかさせるか〜と言う気持ちで見向きもして来なかったのですが。 でも、せっかく有るんだからとさしてみたらびっくりです。超快適なんです、完全に予想を超えて居ました。炎天下歩く時に、これは絶対有利です。ネットで見てみると色んなタイプが有るようです。 それに、この1週間は午前中の酷暑から夕方にはゴロゴロと強い雨が降ります。まだ1回しか雨で使っていませんが、雨傘としても、ちゃんと機能する事がわかりました。今年の夏は日傘がバックパックのサイドポケットの定位置になりそうです。それにしても、男が〜と言う考えが如何にStupidだったかを思い知りました。
義理と人情
日本人を代表するフレーズかもしれません。最近、良く山本周五郎の小説を読んで居ます。実に沢山の作品が有るのですが、今までは「楡の木は残った」「長い坂」「赤ひげ診療譚」「さぶ」等の著名作品を読んで来ましたが、いずれも派手な設定に頼るのでは無く市井に生きる庶民や名も無き人物の中に深い人間ドラマを描き出して居ます。どの作品にも色濃く義理と人情が描かれて居ます。どう言う訳か、彼の売れない頃に執筆した「青べか物語」は未読でした。 彼は文壇デビューしたものの順風満帆とはいかず、原稿の掲載を断られ、スポンサーからも援助を渋られるようになり、失恋もあって精神的にも経済的にも窮した。こうした時期、1928年(昭和3年)夏から翌年秋にかけての時期、時は東京湾北岸の漁村だった浦安に暮らしました。物語の冒頭部分です。
「浦粕町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で、貝と海苔と釣り場で知られていた。
ー中略ー
私は、その町の人たちから「蒸気川岸」の先生と呼ばれ、あしかけ三年あまり独りで住んでいた。」
「青べか物語」より
まず青べかですが、昨年訪問した浦安郷土博物館で現物が展示されて居ました。 この小舟が青ペンキで塗られた物、すなわち青べかが、まるで捨てている様に係留されている物を地元民から売りつけられて買う事が代表的に語られますが、その他浦安の住民の様々を観察して描いています。
社会学の参考書で良く出てくる‘きだみのる’の「気違い部落」より、遥かにきめ細かく描かれていると思いました。そして、この様々なエピソードが後の彼の冒頭にあげた代表作に結実していると思いました。彼が愛した浦安の街はほとんどが漁民で毎朝ベカ舟で豊饒の海に漕ぎ出し自然の恵みを収穫する生活でした。 そんな生活も現在はすっかり変わり、三番瀬は残りましたが今は相当沖合で漁業を行う様です。 さて、今日ご紹介した2作品は映画化されている事を知りました。機会があれば観たいものです。
最後になりますが、Youtubeでは膨大な数の山本周五郎作品の朗読がアップされて居ます。いつも聴くのですが20分ぐらいまでで夢の世界に誘われてしまいます。
夏だ! 焼肉だ!
暑い、実に暑い。暑さに負けられない。新松戸駅前の焼肉「安安」に飛び込みました。 この店もコロナの最中は食べ放題やめてましたが、既に復活しています。食べ放題満足コース2500円を注文しました。焼肉は安い肉から始める主義なので、ホルモンからスタートです。 このこの後は豚、牛と組合せて、肉、肉で攻めます。 ただ、安安は、このコースにはサンチュ🥬がついてないので、塩キャベツ、チョレギキャベツが有るので、これをバリバリ食べます。久しぶりにシンプルに肉だけでせめて、あっという間に100分でした。なんか試合終了のゴングがなった様な気分でしたが集中して肉を食べてスタミナもりもりです。高級焼肉が美味しいのは、当たり前ですが庶民焼肉万歳です。
車内アナウンス
昨日の大回りで、福生駅手前で列車が停止して、車内アナウンス📢が「登り線で列車が何か支障物に接触したので安全確認をして居ます」と有りました。アナウンスの滑舌が悪く支障が死傷にも聞こえ何が起きているか、さっぱりわかりませんでした。また、今日は東海道新幹線が線路支障で復旧待ちの状況で、ますます鉄道アナウンスが気になります。 そんな中、鉄道用語について調べてみました。 まず、線路支障です。これは、沿線の団地からふとんが飛んできて線路に落ちている、土砂崩れで線路がふさがった、自動車が立ち往生している、人身事故で人がはねられて運行できない、なんだかよく分からないけど走行中に異音がしたので線路を点検する、こういう状況をひっくるめて「線路支障」です。この場合、具体的に「線路点検」と案内することもあれば「線路支障」と案内することもあり、まちまちです。 これに似ているのが「架線支障」と言う単語もあります。他に良く出てくるのが、「車両点検」「お客様対応」それ以外にも「車内点検」、「線路内に人が立ち入り」などが有ると思います。これまでに6つの単語を紹介しましたが、ひとつの単語の裏には様々な事象が含まれるのに鉄道マンは、せいぜい多くても10個ぐらいの単語で現場の状況を説明しなければならないのだと思います。また、どれくらいの時間で運転再開できるかの案内ですが、これはケースバイケースとしか言いようが無く、例えば線路支障の場合だと飛来物の撤去は手作業なので、係員の派遣に時間がかかる場所で架線支障が起きると、運転再開の見込み時間は簡単に言えないのだと思います。色々書きましたが、日本の鉄道運行は素晴らしく、経験した欧米の鉄道とは比べ物にならないぐらい正確です。重ねて言いますけどホント凄いんです。なんか、最後は日本の鉄道礼賛になりました。
涼しい遊び・大回り
何処に行っても酷暑の1日、大回りで涼しく遊びました。今回のルートは、
新松戸ー大宮ー川越ー高麗川
ー八王子ー新宿ー東京ー新八柱
こんな風に周りました。周ったルートは黄線です。 料金は計算すると合計3,130円ですが、JRの大回り規則に則って周ったので支払いは170円です。初めての大回りの時はドキドキでしたが、既に小回りを含めると5回目なので気持ちにも余裕が有りました。新松戸から高麗川までは、順調で涼しい車内で快適至極でした。この手の行事ではトラブルは当たり前ですが、八高線に高麗川で乗車程なくして車内アナウンスで、この先、福生で線路支障が発生した為、しばし停車しますと案内が有りました。コリャ大変だと思いましたが、腹を括って停車した車内でお弁当広げて食べる事にしました。やはり、揺れずに食べるお弁当は最高でした。案ずるより産むが易しで結局、停車したのは20分でした。八王子に到着、ここまで来れば、安心です。特快で東京まであっという間に到着しました。東京駅は改札内で沢山のお店が有りブラブラ歩きがすこぶる面白かったです。京葉線まで長い連絡通路は歩きがいがあるのでバッチリです。京葉線は始発なので余裕で着席、新八柱に向かいます。16時過ぎに到着、朝は10:30過ぎに入場したので、6時間弱、車内で遊んだ事になります。車窓の景色を楽しんだ楽しい1日でした。
中森明菜の街
皆さん、清瀬と言う地名を聞いて、何を思い浮かべるでしょう。ある人は、中森明菜、またある人は結核療養所、様々だと思います。清瀬駅100年の物語と言う展示が開催されている事を知り清瀬に行って来ました。清瀬駅北口に降り立つと、早速、地元の有名人のお出迎えです。 やっぱり、彼女が代名詞なのか訝りながら、清瀬郷土博物館の展示ポスターを読み直しました。 この街は、もっと違う何かがあるはずだと思いました。この街には独身寮で2年、子育て時代で8年の都合10年お世話になったので自分自身の想い出も数多く有ります。そんな想いを胸に駅から30分弱歩いて博物館に到着です。
素敵な博物館で私が住んでいた頃には有りませんでした。中に入ると明るい開放的なロビー、でも1番は冷房が効いて居る快適さのお出迎えが嬉しかったです。ロビーにはちびっ子向けの西武電車のオブジェが置いて有りました。 子供サイズの制服も置いて有ったので希望すればコスプレも出来るのかもしてません。特別展示室に入ります。 展示の中心は武蔵野軽便鉄道から始まる西武線絡みの展示が数多く有りました。
私自身も30年近く利用したので懐かしく見学しました。次の部屋では清瀬が結核療養所をかわきりに各種大型医療施設の歴史を中心に展示が有り、清瀬が東京郊外の自然豊かな場所であった歴史が良くわかりました。1.5時間ほどじっくり見学して、帰りはバス🚌で野火止経由新座駅に出て、武蔵野線で荒川、中川、江戸川をわたりホームタウンに戻りました。暑かったけど懐かしのホームカミングを楽しんだ1日でした。
神楽坂 町中華
神楽坂の炒飯有名店、 龍朋を目指して坂をえっちらおっちら辿り着きましたが行列店の悲しさ長蛇の列で、とても食べられそうに有りません。ガックリしてメインの通りに戻りましたが、既にエネルギー切れでお腹ぺこぺこでした。坂の途中にはこんな像が有り慰められました。 でも空腹感Maxです。そんな中、ふっと中国家庭料理の看板が見えました。
店内覗いて見ると、直ぐに座れそうです。もう、欲も得もなく入店しました。冷房の効いた空間が最大のご馳走です。注文は外の看板に有ったサービスランチにしました。冷やし中華と麻婆ライス(小)です。まず麻婆豆腐から取り掛かりましたが、全く麻辣はなくハウスの麻婆豆腐の様なお味で、日本の家庭料理でした。さて、冷やし中華、これも日本の伝統的な味でした。 でも、静かな店内で空腹と言う調味料を加えて美味しいランチでした。