沈黙の艦隊 思う事

先週8日にアマゾンプライムで公開された沈黙の艦隊シーズン1の7、8話を観ながら感じた事、メモとして綴ります。このシリーズも4話ぐらいまでは、観ると眠くなる睡眠導入ドラマでしたが、アマゾンが巨額をかけた作品で最終話8話の戦闘シーンは迫力が有りました。f:id:kaccinster:20240218084339j:image f:id:kaccinster:20240218084348j:image これを観ながら現在のウクライナ侵略やパレスチナ問題は1930年代に酷似していると感じました。当時の国際連league of nationsには米ソは加盟せず、最終的に1930年代の第二次世界大戦の勃発を防ぐことができませんでした。結局アメリカ合衆国は連盟に加盟せず、ソビエト連邦は遅れて加盟したあと、フィンランドへの侵攻後すぐに追放されたことで、連盟の信頼性は低下し、ドイツ、日本、イタリア、スペインなども連盟を脱退しました。現在の国連(これは意図的誤訳で、正しくは「連合国」United Nations)の何と無力な事、如何許りかです。さて我が日本国憲法ですが、前文及び9条で戦争を放棄するということは、独立主権国家であることを放棄するのに等しいです。どの国にも国際法で認められた「交戦権」を持って居るもので、これを放棄しているのですから何も言えません。それを、現在に至るまで国として長く解釈で乗り切る努力をして来ました。しかしながら、現在の国際情勢を考えると限界に来ていると思います。

☆交戦権について調べてみました。

「国権の発動たる戦争」(war as a sovereign right of the nation)は、独立主権国家が、国際法上で有する最も至高かつ崇高な権利で、それは個人に例えて考えると、生存権あるいは正当防衛権となります。それを認めないのは、基本的人権違反です。それを国家に例えて考えれば、国家の独立主権であり、それは「国権の発動たる戦争」の権利を行使できることで担保されます。 この独立主権国家が持つ権利は、さらに開戦権と交戦権として行使される事に繋がります。国家は、「開戦権」を行使して、一方的な宣戦布告──戦争意思(aimus belligerendi)の相手国への伝達──により、対相手国との間に正式に戦争状態を起こすことができる権利を有しています。 交戦権とは、平時に禁止されている次のことを、戦時下では合法的に遂行できる権利を指します。①敵国との通商の禁止、②敵国の居留民と外交使節の行動の制限、③自国内の敵国民財産の管理、④敵国との条約の破棄、またはその履行の停止、⑤敵国兵力への攻撃・殺傷、⑥軍事目標・防衛地域への攻撃・破壊、⑦敵国領土への侵入とその占領、⑧敵国との海底電線の遮断、⑨海上の敵船・敵貨の拿捕・没収、⑩敵地の封鎖、中立国による敵地への海上通商の遮断・処罰、海上での中立国の敵国への人的物的援助の遮断・処罰等。

☆宣戦布告によって戦闘状態となった場合、敵国の領土への侵入とその占領は、上記⑦にある通り、「合法的な交戦権の行使」となり、この場合、国際法上「侵略」と言えるかどうかには、様々な議論があり得ます。

この交戦権解釈の始まりは1928年のパリ不戦条約に基づく考えですが国によって解釈が異なり問題含みの状態が長く続いていましたが、1974年に国連(連合国)により統一解釈がなされ現在に至っています。しかし、これにも条件があり、それは常任理事国の承認が義務付けられているので今回のように常任理事国であるロシアが行った侵略行為は裁けないという現実があります。沈黙の艦隊から、色々な思いが交錯しましたが、ドラマの中で総理役の笹野高史さんが米大統領に対して「日本は戦争をしません」ときっぱり宣言していました。シーズン2は製作されるのか、気になります。