八咫烏

八咫烏サッカー日本代表のユニフォームのエンブレムについているのをご覧になっていらっしゃる方も多いと思います。これについての由来をご披露します。f:id:kaccinster:20240224191604j:imageこのマーク採用は中村覚之助氏に深くかかわりがあります。彼は嘉納治五郎が校長を務めていた東京高等師範学校の卒業生で、日本にサッカーを広めた人物です。f:id:kaccinster:20240224191819j:image 明治35年(1902年)、覚之助は東京高等師範4年の時、蹴球部(フットボール部)を創設。これが現在のサッカーの日本での始まりとされて居ます。そして時代が進み、昭和6年(1931年)日本サッカー協会ができて、協会のマークを創ろうという話になり、中村覚之助にちなんだものにすることになり覚之助が生まれた那智町浜ノ宮でここに八咫烏が繋がります。熊野の浜ノ宮は、日本書紀古事記に現れる神武天皇東征の伝説で、大阪から海伝いに南下して上陸した熊野の地です。ここから大和の飛鳥あたり(奈良・橿原)をめざした際に神武天皇の道案内をしたのが、三本足のカラス、八咫烏(ヤタガラス)だった事からマークに使われる事にしたのです。f:id:kaccinster:20240224194712j:image 咫とは、親指と中指を広げた長さを指し、八咫烏は「大きいカラス」という意味とされます。三本足は、天・地・人を表すとも言われて居ます。加えて熊野は、平安時代の蹴鞠(けまり)の名人と言われた藤原成通が技の奉納に訪れたとと言う由来も有ります。八咫烏もうひと翔びしてベスト8の空を見せて欲しいものです。