旧小金町役場 門柱

参加しているウォーキングクラブのメンバーの方と昔日の小金が如何に栄えていた宿場町だったかを語っていた時に、私が役場門柱が本土寺の前に残って居ますよねと発言すると古参会員の女性からピシャっとそんなもの有りませんと断定されて、会話は終わったのが6月の事でした。内心、いや有った筈だとモヤモヤしながら時間が経ってしまいました。昨日、夕方時間が取れたので確認しに行ってきました。それは本土寺の仁王門をくぐって直ぐに有りました。f:id:kaccinster:20230829091654j:image そしそして縁起は実相閣結社の前に設置されて居ました。この結社というのは日蓮宗の研修所の様な建物の様です。 f:id:kaccinster:20230829091905j:image この建物の前に縁起看板が設置されて居るのですが、文章の趣旨が掴みにくいです。f:id:kaccinster:20230829092035j:image 読みにくいので文章起こししました。

ー 小金町役場門柱由来 -
『 小金町は江戸の中心より約32キロメートル、約八里、この間いくつかの渡しがあり、その1つに「矢切の渡し」もありました。昔から旧水戸街道を下る人はここが第一日目の宿場であったと言われて来ましたが、東葛郡史にもあるように「小金の若衆はよかし、襷一本で飯食える」等と云われ、大変宿場として栄えましたが、明治になり常磐線が出来て宿場の必要はなくなにり、急速にさびれて来て、遂に松戸市に合併されることになりましたが、江戸より仙台迄に至る間で寺の本山が二箇寺あったのは小金町丈です。1つは浄土宗で増上寺につぐ東漸寺と、日蓮宗では本門寺と同格であった本山本土寺がありました。
昭和29年(1954)小金町が松戸市に合併されましたが、小金町役場の門柱を頂いて長い間そのままになっていましたが、近来全国的に「ふるさと復興運動」が盛んになって、本土寺日蓮聖人開宗750年(平成14年)記念事業の1つとして、その昔、四院六坊の1つであった実相院跡に実相閣結社(目の前の建物)を建立し、工業博士吉田桂二氏の設計により徳川中期の建築を模し(一部改築)建立された時、且つての小金町の記念として、この門柱が建てられたものであります。』
(案内板より)

私のモヤモヤは見事に晴れましたが、改めて小金宿の往時の隆盛と歴史を再認識しました。