インスタで、こんな画像の投稿が有りました。この景色見て一気に子供時代の記憶が蘇りました。 小学校から電車通学でしたが、経路は西武線、丸の内線でした。ごくたまに上野方面に行くと車内に異様に大きな荷物を持ったオバサンが居るので、とても驚いた記憶があります。親に、なんなのと聞いて“担ぎ屋さん”と言う言葉を知りました。近郊の農家や漁村のご婦人が収穫した物を、都内に売りに来て居るそうです。自宅は、良く言えば山の手ですが、実は東京の西のはずれで担ぎ屋さんのカバーエリアでは有りませんでした。Yahoo知恵袋では、こんな記事が有りました。“ 担ぎ屋;消費者が農家等へ直接行って物々交換(買出し)を望んでも相手にされないため、慣れた顔見知りの人が個人の規模で買出しや消費者からの買出し依頼の代理人となって行った。それらの人々は当時流行のリュックサック(軍隊からの復員時に支給されたもの)などに入るだけのヤミ物資を仕入れて、自家消費、依頼された分以外の物資はヤミ市や近所などで売りさばくようになった。これらが担ぎ屋の始まりです。本来の意味は仕入・物流の部門を担当したヤミ市商人。ということですが、広義には売りさばきをも行った個人規模のヤミ商人も入ります。” この情報とて、真偽の程はわかりませんが、子供心に荷物の大きさに圧倒されました。この大荷物の一団が居るのは、京成や常磐線ですが、常磐線のイメージはとても悪く、昼間からボックス席で酔っ払いが屯して居る物でした。そんな常磐線も名前が変わって千代田線として既に40年も通勤に使って居ますが、今や常磐線も品川まで繋がりイメージが変わって来たと思うのは欲目でしょうか。