何回かに分けて下赤塚駅から歩いて訪問した先の記事をUpしましたが、とにかくこの赤塚城のエリアは広いです。赤塚城を作ったのは宗家から分かれた武蔵千葉氏と呼ばれる一族ですが、北条氏に仕え秀吉の天下取りで滅亡、赤塚城も廃城となりました。そのため歴史のページから早々の退場であまり重要視されていませんが、この地で134年間栄え、一時は旧領地の下総まで回復しています。下に地図を貼りますが、赤太線内が城のエリアです。 現在、公園になっている城跡だけでなく、資料館、美術館、東京大仏、植物園もすべて城だったところです。氷川神社、諏訪神社は城の鬼門除け、松月院は菩提寺です。 この赤塚城の立地は、真北にある荒川の早瀬の渡し場を一望し、また武蔵北部から武蔵南部の下赤塚、江古田に至る鎌倉道(埼玉道)を押さえる、陸運、水運を掌握する要衝であったと思います。そして、現在では公園も含めとても美しく整備されています。都内で江戸城以外で、本丸を示す石碑の他には土塁、空堀、水堀、堀切、切岸など、最も多く遺構が残っているそうです。何気なく始めた下赤塚探訪でしたが、とても楽しかったです。