小学生の頃はTBSで毎週水曜日20:00から放映の「コンバット」に夢中でした。遠距離通学だってので就寝は20:00と決められて居たのを、親に拝み倒して特例として観て居ました。 主役はサンダース軍曹ですが、将校のヘンリー少尉もカッコ良かったです。でも違和感が有りました、日本の戦争映画では将校は必ず軍刀を腰にぶら下げて居ます。 でもコンバットでは誰も軍刀もサーベルもぶら下げて居ません。日本では航空兵でも刀をぶら下げて居ます。あんな物を腰につけてたら重たいですよね。じゃ、なぜ日本軍は刀を持って居たのでしょうか。ちょっと考えて見ました。辿りついた答えは、我々には「日本刀教」或いは「日本刀神話」が有るのではないでしょうか。日本刀は骨でも何でもスパッと来れると信じ込まされて居るのでではないでしょうか。いやになるほどチャンバラ映画で人が切られるのを見れば無条件に切れると思わざるを得ません。しかしながら、実際に人を切った場合、数人が限度の様です。理由は2つ、ひとつは刀身と柄を繋いでいる目釘があっという間に緩んでしまう事、ふたつ目は刃が欠けて使い物にならなく事、加えて鍔も緩んでしまうそうです。実際、斬り込み夜襲なども日本刀を振り回すのでは無く銃剣と爆弾を持って飛び込んで行ったのが実態です。軍刀も大きく分けると新刀と古刀を仕立て直す物が有ったそうですが、陸軍の場合は将校になると偕行社で自費で購入なので芸術的な刀でなく工場で作ったマスプロダクションの刀だったと思います。でも、軍刀を持つのは指揮刀としてサーベルの様に使う事と精神的な支えとして持って居たのでは無いかと思う次第です。更には現在でも博物館に展示される美しい沢山の日本刀が残されて居ますが、実際に使われるより美術工芸品としての役割が勝って居たのではと考えます。だって、武器としては槍の方が戦闘力が有り実用的ですから。もうひとつ、長く鋼材を扱って来た経験から、ひとたび刀に血糊がついたら研ぎ直しでは錆の発生を止められないと思います。かなりの専門家が削り直してもうまくいくか行かないかです。日本軍に、こうした刀剣の専門家が従軍した事は聞いた事無いので、やはり刀は精神的なシンボルだと思います。最近、山本七平さんの↓を読みましたが、 彼は100人斬りや南京大虐殺はマスコミの架空物語をシナに利用され戦犯にまでされたた話で有る事を論理的に考証して居ました。いつでも正義ヅラのマスコミ許すまじですね。