(承前)
江戸東京への舟運物流システムは、小名木川を中心に形成され、この地には船の積み荷を検める番所「船番所」が設置され、絶え間なく船が行き交っていた当時の小名木川に思いを馳せながらスタートです。こんなコースです。 駅前をスタートして最初の右折地点ですが、小学校が有りましたが何とも都会の小学校です。 まさに都会の小学校という感じです人工芝の運動場を校舎が囲んで居ました。ここから100mぐらいで小名木川を臨むお寺が有りました。宝塔寺です。 何とも立派な現代様式のお寺ですが、通称 塩なめ地蔵、稲荷山小名院宝寺は慶長15年(1610)に開創され、二代将軍秀忠公の頃でした。境内にはめずらしい「塩なめ地蔵」がありました。
小名木川や行徳道を通る商人たちが、航行安全、商売繁盛を願い塩を供えたのが由来とされています。供えられた塩を「いぼ」に塗るといぼが取れるとも言われ、「いぼ取り地蔵」とも呼ばれています。可愛い六地蔵も有りました。 そして、小名木川です。旧中川から隅田川まで東西に江東区を横断している 4640mの一級河川で、天正18年(1590) 徳川家康の江 戸入府の頃に塩などの物資の輸送路として開削されました。 実際、堤防の内側に遊歩道が「しおの道」として歩けるのですが、曇り空が一変ギラギラ太陽が顔を出して暑くなって来ました。 そうそうに小名木川を後にしてクロスしている仙台堀川親水公園に入ります。ここは木陰も多く気持ちが良いので、ベンチで桃とプラムを食べて生き返りました。 さらに歩くとコンビニが有ったので、イートインでソフトクリーム食べて元気復活です。仙台堀公園を離れ中川方向に向かいます。寺院です。 因速寺、元和年間(1615~24)京橋に創建された浄土真宗の寺院ですが関東大震災で昭和2年(1927)に現在地に移転したそうです。江戸期に野菜の促成栽培を考案し3月中旬にはナスやキュウリ等を将軍に献上して賞賛された松本久四郎、歌舞伎で『め組の喧嘩」として有名になった力士の四ツ車大八の墓がありました。このお寺にほぼ並んで上妙寺が有りました。
ここは砂町の荻新田を開いた荻家が建立したもので、入り口には「鬼子母神道道標」が建っていますが、もともとは小名木川沿いに建てられていたもののようです。やはり鬼の字にはツノが有りませんでした。
この後は荒川を目指して、ロックゲートに向かいます。でも、お腹が空いて来たし陽射しも容赦有りません、ヘロヘロになって荒川の土手に上がりパッと開けた眺望に感激です。さっそくロックゲートが見えました。 素晴らしい迫力です。ゲートに到着すると、何と昼間はゲートの一番上まで上がる階段が昼間は解放されて居ました。でも、体力なしで川面を渡る風にあたり休憩です。ゲートの内陸側も凄かったです。 これらは、昭和、令和の土木技術ですが感心しきりです。 ひと休みして更に並行する中川を見ながら歩きます。ゴールも間近で旧小松川閘門に向かいます。公園に入るには一段高くなって居るので、ゆっくり登ります。上ると何やら面妖なモニュメントが視界に飛び込んで来ました。 何やらわからないまま歩き進むと閘門が有りました。草むす中に聳え立つて居ましたが、まさに明治の構造物で迫力満点です。 閘門の前のベンチで最後の休憩をして公園内を縦断してゴールの東大島駅に辿り着きました。今回は小名木川をメインのウォーキングでしたが、機会捉えて大横川も歩いて見たいと思いました。