成田街道・臼井(1)

14日の日曜日、旧街道や昔の道を考察したくて、臼井宿周辺を歩いてきました。佐倉の手前に有る宿場町ですが昔は成田街道の拠点で賑わい、その昔は臼井城が地域の歴史的拠点だったエリアです。コースは: 
京成志津駅〜加賀清水~成田山道標~ユーカリが丘駅雷電為衛門墓~臼井城址~太田図書の墓~阿辰の墓~道しるべ~臼井宿~光勝寺~京成臼井駅

雨を気にしながら2万2千歩12km歩きました。

成田街道の面白いのは、成田に行くのに武士は参拝ルートが指定されて居て千住から水戸街道を指定されて居たそうです。一方庶民は自由にルートが選べたので、行徳まで水路を辿る様になり臼井宿経由は使わなくなりこの宿場町の衰退を招いたそうです。また、成田は何も無かった所に新勝寺が建立され、人気歌舞伎役者の市川團十郎が贔屓にしたので彼のファンの間にも広がり成田が有名になり成田街道も賑わったそうです。天保年間(1800年ごろ)の話です。そんな訳で志津駅から最初に向かったのが志津駅からすぐの成田街道道標群です。f:id:kaccinster:20230514193836j:image 

向かって右側の道標は、歌舞伎の名優である七代目市川團十郎が、天保二年(一八三一)に建立した物です。中央奥の常夜燈は、文政十年(一八二七)に立てられた物ですが、この時代に夜中街道に火が灯って居るってすごい事だと思います。中央の道標は、明治二十七年に岩田長兵衛が建てたものです。これら道標は時代の中で場所が動いて居ますが常夜灯は元々の位置を動いて居ません。この道標のすぐ裏に、美味しい湧水池があり加賀清水と呼ばれて居ますが、本日も綺麗な水が湧き出て居ました。f:id:kaccinster:20230514195137j:image昔は、この水を使って旅人に茶の接待した名所でした。成田街道も大部分は国道になって居ますが、一部旧道として残って居る道の、排水溝を見ると中央に走って居ました。f:id:kaccinster:20230514203901j:image 道幅によって両脇に有る大きな街道、成田街道はそんなに道幅は大きく無かったと思われます。歩きながら成田山に向かって様々な道標がある事に驚きました。f:id:kaccinster:20230514211245j:imagef:id:kaccinster:20230514211359j:image続く