大宮 麺屋酒場まる本店

大宮に遠征、駅前の天一の前を右に曲がり艶かしい色彩の通りを客引きを避けながら3分で到着です。f:id:kaccinster:20240417194858j:image メニュー見てみると台湾料理と中国東北地方の料理ミックスでした。今日は大食漢4人で挑戦です。まずはシナチクです。 これはタケノコの一種である麻竹を蒸して発酵させ、味つけした台湾発祥の加工品で、美味しいんです。f:id:kaccinster:20240417212409j:image ここら辺が美味しければ何を食べても心配ありません。次はピータンです、これも店によって味が違うので、どんな店なのか知るのに良いアイテムだと思います。f:id:kaccinster:20240417212618j:image これも合格です。かなり期待がもてます。次はセセリです。沢山の唐辛子と粒ごとの胡椒がピリッといけて居ます。f:id:kaccinster:20240417213547j:image セセリは鶏の首の下の希少部位ですが、 ぷりっとした弾力のある歯ごたえです。鶏は首をよく動かす性質から、身がきゅっと引き締まり、ほかの部位にはない食感が魅力です。次も普段なかなか口にする事が難しい豚足の唐揚げです。f:id:kaccinster:20240417214102j:image なんとも不思議な食感ですが、美味しいです。次も唐揚げですがとうもろこしの一粒ずつ揚げられていて美味しいです。f:id:kaccinster:20240417214242j:image これも散りばめられて居る唐辛子がアクセントになって居ます。つぎは、ややあっさりしたイカの和物です。f:id:kaccinster:20240417214522j:image 続いて焼き小籠包です。これは熱々なので注意しながら食べました。f:id:kaccinster:20240417214746j:image 続いて砂肝と胡瓜の和物ですがさっぱりした味で癒されます。f:id:kaccinster:20240417214857j:image もう既にお腹いっぱいですが、締めに麺と炒飯を頼みました。炒飯はウニ醤油味を頼みましたが香ばしさが堪りません。f:id:kaccinster:20240417215142j:image 麺はカレー風味麻婆麺と牛肉麺を頼みました。f:id:kaccinster:20240417215254j:image f:id:kaccinster:20240417215301j:image これに味玉をトッピングしました。f:id:kaccinster:20240417215337j:image 

麻婆の方は普通麺で牛肉麺は太麺で頼みましたがどちらも麺に味がからんで美味しかったです。なんだかんだでかなり食べました、大宮から南浦和経由武蔵野線で帰宅しました。

銀座線 田原町駅

銀座線のG18田原町駅を使うと、必ず思い出す事が有ります。学生の時に読んだ荒俣宏の小説です。f:id:kaccinster:20240416214235j:image 博物学や神秘世界に博識な荒俣宏らしい幻想的なストーリーの小説『帝都物語』です。その中で1927年(昭和2年)に浅草-上野で東洋で初の地下鉄開通が大きく取りあげられて居ました。f:id:kaccinster:20240416214324j:image 話の骨子は東京にははるか昔に処刑された平将門の怨霊が眠っており、帝都は将門の怨念が封印されている巨大な霊場でもあると陰陽師が澁澤栄一に語り、その霊を邪悪に使う一派との闘いを描いています。その中で、この浅草ー上野の工事は東京の気が抜けるところに穴を掘るので工場現場では様々なトラブルや式神が暴れる話が出て来るのを思い出します。f:id:kaccinster:20240416214401j:image 今日も駅のホームにこんな看板が有りました。f:id:kaccinster:20240416214500j:imageこんな事が書いてありました。

  田原町駅芸能紋について

この駅内に点在する、深喰による芸能紋は昭和二年十二月三十日に浅草〜上野間が東洋で初めて地下鉄として開通したとき誕生した。当時日本一の繁華街として賑わった浅草への玄関口に趣をそえるため、設計を担当した今井兼次早大名誉教授(当時)がデザインしたもので住時をしのばせる歌舞伎、新派等、花形役者の家紋ばかりを集めている。

 俳慢名盤(杉岡文楽老大正十四年発行)の資料による。

つい昭和2年の文字をみると帝都物語を思い出してしまうのです。実際は、地下鉄の父と呼ばれる早川徳次氏が執念で1927年(昭和2年)に浅草-上野で東洋で初の地下鉄を開通させたのですがf:id:kaccinster:20240416214618j:image この人物の執念は感動ものです。実際、社会人になって自分が東南アジア各地の地下鉄工事に関わる中、早川徳次氏の事を知りその情熱に魅了されました。以上、本日の田原町駅でフラッシュバックした思い出でした。

コリアンタウン

新松戸に住んで随分時間が経ちますが、それまで全く縁が無かった北千住、町屋、日暮里、三河島などの地域に興味が湧き食べ歩きを重ねて来ました。その中で三河島は、最初は松本清張の世界で「三河島事件」f:id:kaccinster:20240415132423j:image のイメージしか無かったのですが歩いてみると沢山の韓国系のお店が有ります。調べてみると関東地区のコリアタウン発祥の地などとも言われて居る様です。1919年ぐらいから韓国最南端の島である済州島からの人々が移り住み、その半数以上が高内里(コネリ)という済州島北西部にあるムラ出身の人々です。そして大東亜戦争後も4・3事件や朝鮮動乱後から1965年の日韓条約の問にもかなりの人が来て居ます。この辺の話は幾つかの小説の題材にもなって居るのでご存知の方もいらっしゃるかも知れません。前置きが長くなってしまいましたが、既に5〜6回自転車や歩きで、このエリアに訪れて居るのですが、歴史や由来を知れば知るほど敷居が高くなり韓国料理店に入れませんでした。今回は友人が背中を押してくれて入ってみる事にしました。最初は辛風という店に入ろうとしたのですが、予約でいっぱいで入れませんでした。向かいの東京ガーデンに入る事にしました。以前は一際大きな看板が周囲を圧倒していますが最近の移転に伴い看板も小さく場所も地下になって居ました。昔の看板です。f:id:kaccinster:20240415092321j:image 店はアジュンマの1人で切り盛りして居る感じです。内装も未完成に見えました。オーダーはミニジャージャー麺、韓国式酢豚、イカの和物、白飯を頼みました。まずは韓国式に小皿に色々出て来ました。f:id:kaccinster:20240415092355j:image 箸をつけて見るとカクテキが美味しいです。次にお目当てのジャージャー麺と韓国式酢豚です。f:id:kaccinster:20240415092544j:image 酢豚に取り掛かりましたが中華の酢豚と違いイカなどの天ぷらに甘酸っぱいソースをかけた感じです。f:id:kaccinster:20240415092922j:image 美味しいです。カリッと揚げた衣にタレがよくあいます。次が韓国の国民食ジャージャー麺です。f:id:kaccinster:20240415093128j:image 極太の中華麺に味を馴染ませる為、よくかきまぜます。f:id:kaccinster:20240415093319j:image 見た目悪いですが美味しいです。ジャージャー麺は中国が本場で日本にも有ります。韓国の ジャージャー麺の味の基本ともなるテンメンジャンが使用せず、代わりに「チュンジャン」と呼ばれる「甘い黒味噌」の様な調味料が使用されます。甘味が強く真っ黒が基本です。でも美味しいです。そしてイカの和物が出て来ました。f:id:kaccinster:20240415093433j:image まさに韓国のナショナルカラーでした。これも辛さが絶妙でご飯🍚との相性バッチリです。どれも美味しくてお腹いっぱいです。満足感に浸りながら徒歩3分の三河島駅から帰路に着きました。f:id:kaccinster:20240415093925j:image 

ゆったりシンガポール

友人と話をしていると、シンガポール料理が食べたくなりました。東洋文庫の講演会に出席する道すがら大塚駅北口徒歩2分のラヤンラヤンに行って来ました。f:id:kaccinster:20240414150739j:image このお店は、それほど高級よりでなく謂わゆるシンガポール料理が楽しめるお店です。店内も親しみやすい雰囲気です。f:id:kaccinster:20240414151015j:image 11時の開店早々に入店しました。注文は迷わずラクサとチキンライスです。ちょっと待ちましたがラクサが来ました。f:id:kaccinster:20240414151145j:image 麺は一般的なエッグヌードルを選びました。一口食べると懐かしいココナッツベースのカレー味で沢山の香辛料が使われています。f:id:kaccinster:20240414151406j:image 食べて居ると優しい辛さに癒されます。チキンライスも続きます。f:id:kaccinster:20240414151618j:image 漢字で書けば海南鶏飯です。ニワトリの油で炒めた白米を、ニワトリを茹でて取ったスープで 炊いた、雞油飯と、茹でた鶏肉のぶつ切りです。鶏肉の旨味がご飯につけられ、あっさりとした上品な旨さがたまりません。シンガポールで日本から来たお客さんは、これを食べるとこの美味しさに驚かれると共に南十字星の下の淡路島ぐらいの大きさのこの国を好きになってくれます。この二品を食べながら楽しく脳内シンガポール旅行が出来ました。次はフィッシュヘッドカレーが食べたいなぁ。お店探さなきゃ〜

ソースの蘊蓄

突然ですがソースについて書きます。というのは、最近朝食でハムエッグにブルドッグソースの中濃をかけて食べるのがマイブームになっていて東京育ちはブルドッグだなぁと思うからです。f:id:kaccinster:20240413121342j:image f:id:kaccinster:20240413121353j:image この1年はお好み焼きをいつになく多く食べる中、友人からお好み焼きはソースが命と教えられ、オタフクしか知らない私は眼を瞠ったものです。ランダムにあげると、カープ、広島ぢゃけんf:id:kaccinster:20240413121926j:image

テング、広島育ち、f:id:kaccinster:20240413121441j:imageなどなどで広島県各地で甘いのから辛いのまで様々ある様です。都市別にソースの消費量をみても、一人当たりの年間消費量は広島市がナンバーワンで、全国平均が1,450mlのところ広島市は2,263mlとダントツです。広島の人がネタで「広島人の血にはソースが流れよる」といいますが、さもありなんです。諸説ありますがソースが誕生したのは19世紀の初めでイギリスのウスターシャ州で生まれました。日本にソースがやってきたのは明治維新の頃のこと。明治17年ヤマサ醤油の七代目・八代目の浜口儀兵衛氏がソース造りにチャレンジし、新味醤油として『ミカドソース』を売り出すものの、先進的すぎて消費者に受け入れられず製造中止に。それでも洋風文化の波は止まらず、明治27年に関西で『三ツ矢ソース』、続いて『錨印ソース』『白玉ソース』が誕生します。関東では明治33年に『矢車ソース』、続いて『犬印ソース』、『MT大町ソース』、『スワンソース』が登場。中部では明治41年カゴメソースなどが『ウスターソース』を製造・販売し、文明開化の波に乗って日本全国に「ウスターソース」が広まっていきました。我が愛しのブルドッグソース明治38年 『犬印ソース(現ブルドックソース)』(三澤屋商店・小島仲三郎氏)に販売を開始しています。ソースも究極は自作でしょうが、それは今後のお楽しみにして、まずはいろんなブランド試してみます。

昭和街場のはやり歌

f:id:kaccinster:20240412092758j:image こんな本を読みました。著者は第二次ベビーブーマー世代の1974年生まれの方で70年安保真っ只中です。多分左巻きなんだろうなぁと思いながら読み始めました。目次はこんな風でした。f:id:kaccinster:20240412093307j:image 読み始めてすぐに、著者は東京生まれ東京育ちの記述が有り世代違っても共感出来るかなと期待しました。60年安保は訳もわからずデモごっこしてたし70年安保は大学生なんで暴れるんだろうと思いながらの傍観でした。ただ取り上げられている歌はどれも知って居るものばかりです。1曲ずつYouTubeで聴いてから各章を読んで行きました。4部構成で各々部毎にタイトルがついています。

希求と喪失編

1.「炭坑節」(赤坂小梅ほか)

2.「テネシールツ」(江利チェミ)

3.「東京のバスガール」(初代コロムビア・ローズ)

4.「あぁ上野駅」(井沢八郎)

5.「南国土佐を後にして」(ペギー葉山)

6.「スーダラ節」ほか(植木等/ハナ肇クレイジーキャッツ)

異議と蹉跌編

7.「アカシアの雨がやむとき」(西田佐知子)

8.「夢は夜ひらく」(園まり)

「圭子の夢は夜ひらく」(藤圭子)

9.「唐獅子牡丹」(高倉健)

10.「世界の国からこんにちは」(三波春夫ほか)

11.a)「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)

   b)「いい日旅立ち」(歌・山口百恵)

祈念と失意編

12.「一本の鉛筆」(美空ひばり)

13.「イムジン河」(ザ・フォーク・クルセダーズ)

14.「沖縄を返せ」(作詞・全司法福岡高裁支部、作曲・荒木栄)

15.「何日君再来(フォーリン・チュン・ツァイライ)」(テレサ・テン)

災厄と予兆編

16.「丸の內音頭」(小唄勝太郎/三島一声)

17.「東京五輪音頭」(三波春夫)

18.a)「舟頭小唄」(詞·野口雨情、曲·中山晋平)

  b)「昭和枯れすすき」(さくらと一郎)

19.「カチューシャ」(詞・M.イサコフスキー、曲・M.ブランテル、訳詞・関鑑子)

とても良い選曲です。ただ14番は知りませんでした。曲を聴きながら読み進めたのですが、著者が検証と称して分析するのですが大半は思い込みで特にテレサテンの検証は読むのが嫌になってしまいました。名曲は自然体で楽しんで後追いで理屈つけるのは意味無いと言うのが感想です。口直し、いや耳直しで名曲‘上を向いてこう’スキヤキをヘイリー・ローレンの歌声で聴きました。Sukiyaki-Halie Loren - YouTube 自然に身体がスィングしました。

Facebookはオワコン?

Facebookはオワコン? こんな声も聞こえて来ますが本当でしょうか。一方Xもおしまいと言われながら持ち堪えて居ます。FBは実名制が、ひょっとしてブレーキなのかも知れません。f:id:kaccinster:20240411152056j:image 本音と建前の国では実名の場合はなかなか本音が出ないからです。一方Xの方は匿名ですから、本音が出やすいのかも知れません。f:id:kaccinster:20240411152115j:image もう一つの実名の弊害は盛り過ぎがでしょうか。こんな素敵な場所に行った、美味しいもの食べた、本人は自己充足しますが、読む方は辟易して疲れてしまいます。そんな事言いながら発信せずにFBは見るばかりの日々ですが、最近それにしてもと言うほど広告が多くて嫌になってしまいます。昨日なんか投稿を読むより広告を表示しないの入力して居る時間が多かったので本末転倒を痛感しました。若者はさっさとFBやLineから撤退して他のDiscordとかに流れて居ます。f:id:kaccinster:20240411152241j:image 我が世代は残念ながらFB、Xに残留して居るので一方的には抜けられません。 思えばDosでコマンド打ち込んでゲームして、ニフティパソコン通信、夜中に並んでWindows95買って、自作のPC組んで、一太郎とLotus123で仕事覚えてX、FBに遭遇して居る訳で今の新たなDXの波にも溺れないで泳いで行きたいものです。